「平和への誓い」に息づく空海の思想

被爆から81年を迎えた8月6日、広島市中区の平和記念公園で、平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が営まれました。

まず、原爆によって亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器の廃絶と世界恒久平和への誓いを、私自身も新たにしたいと思います。

式典では、広島市立高須小学校6年の柿崎由宇さんと、広島市立高南小学校6年の河野和希さんが、こども代表として「平和への誓い」を読み上げました。その中に、次の言葉がありました。

相手の気持ちを想像し、意見の違いがあっても認め、受け止めること。
平和への思いを、自分なりの方法で表現すること。
一人一人の小さな行動が、平和への後押しとなります。

この言葉を聞いたとき、私は、日本人の心の奥底には、今も空海の思想が息づいているのだと思いました。

相手の気持ちを想像し、自分とは異なる意見を直ちに排斥するのではなく、まず認め、受け止める。そのうえで、それぞれの立場から共通の目的へ向かって行動する。この姿勢は、異なる思想や教えをそれぞれの段階に位置づけながら、すべての人を悟りへと導こうとした空海の密教に通じるものがあります。

核兵器をめぐっては、それぞれの立場によって、さまざまな意見があります。核兵器を人類社会からなくしていくことは、多くの人々に共通する願いでしょう。しかし、そこへ至る道筋については、自衛、核抑止、安全保障、国際政治などの観点から、それぞれに異なる考えがあります。

しかし、意見が違うからといって相手を否定し、対話を断ってしまえば、平和への道はかえって遠のきます。必要なのは、相違を消し去ることではありません。互いの立場や不安を理解し、その違いを抱えながらも、人類の平和という究極の目的へ、一歩ずつ近づいていくことではないでしょうか。

異なる思想や立場を排斥せず、より大きな目的の中に包み込みながら、共に進む道を探す――そこに、密教的な発想を現代世界に生かす可能性があると私は考えます。

そして、平和を実現するのは、一部の政治指導者だけではありません。世界に生きる一人ひとりが、相手の立場を想像し、違いを認め、自分にできる小さな行動を積み重ねていくことが必要です。

この点も、空海の生き方に通じています。空海は、朝廷や貴族に密教を伝えて国家の安寧を祈るだけでなく、綜芸種智院を開き、満濃池の修築に携わるなど、教育や社会事業を通じて人々の生活にも深く関わりました。空海が目指した鎮護国家と済世利人は、指導者の祈りや政策だけによって実現するものではなく、一人ひとりの心と暮らしが安らかになることによって、初めて成し遂げられるものだったのではないでしょうか。

広島の小学生たちが語った「一人一人の小さな行動が、平和への後押しとなります」という言葉は、まさにその考えを現代の言葉で表したもののように、私には思えます。

そのことを、広島の小学生たちが自分たちの言葉で世界に向けて語ってくれました。私はそこに、日本の精神文化が世代を超えて受け継がれている姿を見るとともに、日本人として大きな誇りと、未来への希望を感じるのです。

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