前回の随筆では、現在の中東における戦争を「縁起」と「諸行無常」の観点から考察しました。今回はさらに「煩悩」という観点を加え、この紛争において我々一人ひとりに何ができるのかについて洞察したいと思います。
■ 空海の教え──煩悩と即身成仏
空海は「即身成仏」を説きました。それは、煩悩を抱えた人間であっても、密教を通じて「空」の原理を理解し実践すれば悟りに至ることができる、という教えです。
この実践においては、煩悩を八正道によって適切に制御し、十住心論に示されるように段階的に人格を高めていくことで、最終的な解脱に至ります。
ここで重要なのは、煩悩を適切に制御することで我々は仏となり、すなわち幸福に至ることができるという点です。空海は、煩悩を否定するのではなく、それを肯定したうえで制御することの重要性を説いているのです。
■ 国家にも存在する「煩悩」という構造
今回の中東での紛争は、「国家的煩悩」に起因しているといえます。煩悩は個人の内面にとどまらず、人間が社会を形成することで、その社会自体にも生じます。本稿では、国家規模で現れるこうした煩悩を「国家的煩悩」と呼びます。

■ イスラエルの行動をどう捉えるか
今回の紛争について、筆者はイスラエルの国家的煩悩が大きな要因の一つであると考察します。同国は自国の安全保障のため、敵対勢力を徹底的に排除しようとしていますが、これは個人が憎しみの対象を打ち負かそうとする煩悩と本質的に同じものです。
■ 因果応報と終わらない紛争の連鎖
しかし、密教的な観点からすれば、因果応報の法則により、その行為は新たな結果を生み、さらにそれが原因となるという因果の連鎖を生み出します。その結果、紛争は繰り返され、終わりの見えない状態に陥っていきます。
■ 政治という現実的解決の領域
本来であれば、この理を個人に説くことが重要ですが、今回は国家的煩悩の問題であり、単純な解決は困難です。前回述べたように、さまざまな縁が絡み合い、状況は複雑化しています。
現実的な解決は、やはり政治の領域に委ねられます。政治は必ずしも理想のみで動くものではありませんが、現実的な最善策を積み重ね、安定した状態へと導くことが求められます。
■ 個人にできること──宗教的倫理からのアプローチ
宗教的倫理の立場からできることは、個々人がこの問題を深く洞察し、「戦争によって国家的煩悩は満たされない」という認識を広めていくことです。とりわけこの視点において、密教的倫理観を有する日本が国際世論を主導する意義は大きいといえるでしょう。
■ 戦争の現実と拡大する煩悩
実際、今回の戦争によって、イスラエルおよびアメリカ合衆国の目的が達成されているとは考えにくく、一般市民の死者は増え続け、終結の兆しも見えず、むしろ泥沼化の様相を呈しています。また、イランでは報復感情が高まり、新たな煩悩を生み出しているようにも見受けられます。
さらに国際社会においても、支持は広がらず、不満が増大している状況です。
■ 否定しないという選択──停戦への道
国際的な世論を形成し、まずは停戦を求める声を高めることが重要です。ここで求められるのは、特定の国家を一方的に否定することではなく、いずれの立場も認めつつ、対立の連鎖を断ち切る姿勢です。このような寛容の思想こそ、密教的伝統を有する日本が発信すべき価値観といえるでしょう。

■ 新たな国際秩序へ──日本の役割
そのうえで政治的妥協を模索し、将来的に同様の事態が起こらない仕組みを構築する必要があります。これは非常に困難な課題であり、国際秩序の再設計を伴うものです。
ここで、前回の随筆で述べたように、日本は密教的倫理観と現実的な国際感覚の両輪をもって、しなやかな新たな国際秩序の構築を主導すべきであると、筆者は考えます。


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