即身成仏とテクノロジーの時代

平安時代の僧、空海(弘法大師)は、「即身成仏」という教えを説きました。
それは、「この身このままで仏になれる」という、とても力強い思想です。

仏教というと、厳しい修行を何十年も続けなければ悟れない、というイメージを持つ人も多いかもしれません。確かにお釈迦さまも長い修行の末に悟りを開きました。しかし、極端な苦行そのものが悟りを生んだわけではありません。

悟りとは、何か特別な力を得ることではなく、「本質に気づくこと」なのではないでしょうか。

空海の説く即身成仏も、どこか遠い世界へ行くことではありません。
「すべては空(くう)である」と、心の底から納得すること。
その“腹落ち”こそが大切なのだと思います。


■ テクノロジーが進化すれば、悟りも近づく?

現代はテクノロジーが急速に進化しています。
AI、量子コンピュータ、脳科学…。

「脳の仕組みが解明されたら、悟りも科学的に説明できるのでは?」
「瞑想アプリやデバイスを使えば、簡単に悟れるのでは?」

そう考える人もいるかもしれません。

けれども、テクノロジーがどれほど進歩しても、
それだけで即身成仏が簡単にできるようになるとは言えません。

なぜなら――

テクノロジーは「外側」を扱うものだからです。

情報を早く処理する。
身体を便利にする。
距離や時間を縮める。

しかし、即身成仏とは「内側の理解」です。
自分の執着や不安、欲望、怒りと向き合い、
それらも含めて「空である」と深く納得することです。

どれほど高性能な道具があっても、
「気づく」という体験そのものを代わりにしてくれるわけではありません。

最新のスマートフォンを持っていても、
悩みがゼロになるわけではないのと同じです。


■ テクノロジーは否定すべきものか?

もちろん、テクノロジーが悪いわけではありません。
それは人間の知恵の結晶であり、生活を豊かにしてくれます。

けれども、空の世界観から見れば、
テクノロジーもまた移ろいゆく現象の一つにすぎません。

便利さも、流行も、発明も、
やがて変化し、消えていきます。

その意味では、テクノロジーは悟りへの「近道」ではなく、
あくまで時代の流れの中の一つの出来事なのです。


■ 即身成仏は、時代を超える

空海の即身成仏は、
平安時代でも、現代でも、未来でも変わりません。

それは、外の進歩ではなく、
内なる洞察の深まりによって開かれるものだからです。

八正道に基づき、
物事を丁寧に観察し、考え抜き、
「すべては空に帰着する」と腑に落ちる。

その営みは、テクノロジーとは無関係に、
静かに、しかし確実に続いていく道なのではないでしょうか。

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