1.はじめに
前回のコラムでは、空海の思想を、その著作だけでなく、空海が実際に行ったこと、すなわち事跡から捉えました。そして、次のようにまとめました。
空海の思想は、その表現と体系においては壮大で複雑です。しかし、目指したものは、仏の教えによって国家を安泰にし、人々を安らかにするという、きわめて一貫したものだったのではないでしょうか。
それでは、空海の目指したものが一貫していたにもかかわらず、なぜ私たちは、その著作から思想を読み解くことを難しいと感じるのでしょうか。
今回は、空海の著作を現代の私たちが理解する際に生じる問題について考えてみたいと思います。
2.空海の著作を読み解く難しさ
空海の文章を読み解く際には、いくつか注意しなければならない点があると思います。
漢文で書かれていること
空海の代表的な著作は、当然ながら漢文で書かれています。しかも、それは現代中国語ではなく、古代の中国古典文を基礎とした文章です。
私たちが空海の著作を読む場合、まず漢文を読み下し文にし、さらに現代語へ置き換えることになります。その過程では、一つの言葉に複数の訳し方が生じることがあります。
さらに、仏教用語にはインドのサンスクリットから中国語へ翻訳されたものも多く、その言葉を再び現代日本語で説明しなければなりません。
このように、いくつもの言語と時代をまたいで意味を受け取るため、同じ文章から異なる解釈が生まれることがあります。
当時と現代では、言葉の意味や社会背景が異なること
空海が生きた約千二百年前と現代とでは、政治体制、社会制度、宗教の位置づけ、人々の暮らし、さらには物事の見方や考え方まで大きく異なります。
現代の私たちは、当時の社会を歴史資料によって知ることはできます。しかし、当時の人々が一つ一つの言葉をどのような感覚で受け止めていたのかを、完全に再現することはできません。
同じ言葉であっても、その背景にある社会や文化が違えば、受け取られる意味も異なります。その隔たりが、空海の文章を一層難しく見せているのではないでしょうか。
現代語訳には訳者の解釈が加わること
古い漢文を現代語に置き換えるためには、訳者が文脈を判断し、最も適切と思われる言葉を選ばなければなりません。
したがって、現代語訳は、原文をそのまま現代語に置き換えたものではなく、ある程度、訳者の理解や解釈を通して表現されたものになります。
そのため、同じ著作であっても、訳者によって表現や説明が異なり、ときには内容の印象まで違って見えることがあります。
私たちは、現代語訳を通して空海の言葉に近づくことができます。しかし同時に、それが空海の言葉そのものではなく、訳者の解釈を経た言葉であることも意識する必要があります。
3.空海は真理をどのように伝えようとしたのか
空海自身も、仏の真理を文字や論理だけで完全に伝えることの難しさを認識していたのではないでしょうか。
そこで空海は、漢文による著述だけでなく、サンスクリットに由来する真言、手で結ぶ印契、仏たちの世界を視覚的に示す曼荼羅、さらには儀礼や身体の動作などを重視しました。
真言密教では、身体・言葉・心の働きを、それぞれ身密・口密・意密といい、合わせて「三密」と呼びます。空海は、真理を頭で理解するだけではなく、身体と言葉と心のすべてを通して体得しようとしました。
したがって、空海の思想は、書物に書かれた文章だけで完結するものではありません。
空海にとって真言や曼荼羅、印契、儀礼は、言葉だけでは表しきれない仏の世界を、時代を超えて伝えるための方法でもあったのではないでしょうか。

4.事跡から空海の思想の大局を捉える
空海の著作を詳細に読み解くことは、その思想を理解するために欠かせません。
しかし、一つ一つの言葉や教義の解釈だけに注目すると、空海が全体として何を目指していたのかが、かえって見えにくくなることもあると思います。いわば、「木を見て森を見ず」という状態です。
そこで、空海が実際に何を行ったのかという事跡に目を向けることが、思想の大局を理解する一つの手がかりになると考ええるのです。
もちろん、空海が自ら思い描いたことを、すべて実現できたとは限りません。また、現実の社会では、当初の考えとは異なる方向へ物事が進むこともあります。
したがって、事跡だけから空海の内面を断定することはできません。
しかし、空海が何に力を注ぎ、何を残そうとしたのかをたどれば、その思想が向かっていた大きな方向を読み取ることはできるのではないでしょうか。
空海は、国家の安寧を祈り、人々の教育や生活を支え、多様な思想を真言密教の立場から体系化しました。
これらの事跡を大局的に捉えると、前回示した次の結論につながります。
空海の思想は、その表現と体系においては壮大で複雑です。しかし、目指したものは、仏の教えによって国家を安泰にし、人々を安らかにするという、きわめて一貫したものだったのではないでしょうか。
空海の著作が難解であることと、空海が目指したものが一貫していることは、決して矛盾しません。
目指したものは明快であっても、それを理論として説明し、異なる思想を体系の中に位置づけ、さらに時代を超えて伝えようとすれば、その表現は壮大で複雑なものになります。
空海の思想を理解するためには、著作の言葉を丁寧に読み解くと同時に、空海が何を行い、何を社会に残そうとしたのかを見る必要があります。
「言葉」と「行動」の両方から考えることによって、空海の目指したものが、より明確に見えてくるのではないでしょうか。


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