中東の緊張を空海の思想から考える

2月28日にアメリカとイスラエルがイランに対して大規模攻撃を行いました。
報道によれば、最高指導者のハメネイ氏をはじめイラン政府や軍の幹部に大きな被害が出たとも伝えられています。

3月10日には、アメリカのトランプ大統領が「作戦はまもなく完了する」と述べたといわれています。しかし一方で、イラン側では最高指導者ハメネイ師の後継体制が整えられつつあり、反撃の動きも続いているとされます。アメリカがどのような戦略でこの事態を終結させようとしているのかは、現時点では必ずしも明確ではありません。

もし仮に、イランの指導者層を排除すれば、アメリカやイスラエルにとって望ましい体制が生まれるという想定のもとで攻撃が行われたのだとすれば、それはかなり楽観的な見通しだった可能性もあります。空爆だけで政治体制を変えようとする試みは、成功したためしはないのです。

もちろん筆者は中東問題の専門家ではありません。したがって、ここでは報道などを手がかりにしながら、一つの思想的な視点からこの問題を考えてみたいと思います。その視点とは、日本の密教思想家、空海の思想です。

中東問題の根底には、イスラエルとイランの対立、そして長年続くパレスチナ問題があります。そこにはユダヤ教とイスラム教という宗教的背景も重なり、歴史の中で積み重なってきた不信や憎しみの連鎖が存在しています。互いに相手を受け入れることができない状況が、長い時間をかけて固定化されてきました。

ここで空海の思想を思い起こしてみたいと思います。

空海は密教を日本に広める際、決して他の思想や宗教を否定することはありませんでした。仏教だけでなく、儒教や道教など、さまざまな思想を広い視野の中で理解しようとしたのです。

その根底にあるのが「空」の思想です。

万物は固定された存在ではなく、すべては相互の関係の中で成り立っているという考え方です。
言い換えれば、この世界に完全に孤立した存在はないということです。

密教の曼荼羅は、その宇宙観を象徴的に表現したものでもあります。

この視点に立てば、世界のあらゆる存在は本質的に互いにつながっていることになります。

しかし現実の国際政治は、しばしばその正反対の方向へ進みます。つまり、相手を排除するという行動です。

空海の思想から見れば、相手を排除するという発想そのものが成り立たちません。なぜなら、相手もまた自分と同じ世界の中に存在する存在であり、相手を否定することは、結果として自分自身の世界を否定することにもつながるからです。

このような一体性の発想の前提には、寛容という姿勢がある。相手を理解しようとし、異なる存在を受け入れるという姿勢である。

もっとも、空海は単なる理想主義者ではなかった。むしろ非常に現実的な人物であったことが、彼の生涯からうかがえる。政治や社会の動きを理解しながら、人々の信頼関係をどのように築いていくかを常に考えていたのである。

そう考えると、空海の思想は単なる宗教的理想論ではなく、人間社会の対立をどう乗り越えるかという現実的な問題にも示唆を与えているのではないでしょうか。

現在の日本政府の立場を見ると、国際政治の現実の中で、アメリカやイスラエルの立場に比較的近い姿勢を取っているように見えます。国家としての外交政策を考えれば、それはある意味で現実的な選択なのかもしれません。

しかし同時に、日本にはもう一つ別の役割があってもよいのではないでしょうか。つまり、対立の論理とは異なる思想的な視点から、世界の問題を考える役割です。

第二次世界大戦で日本は敗戦し、軍事的な力を失いました。しかしその後、日本社会は民主主義国家として再出発し、比較的安定した社会を築いてきました。そこには、日本社会に長く存在してきた宗教的・文化的な寛容性も関係しているのではないかと筆者は考えています。

空海は『十住心論』の中で、人間の精神がどのような段階を経て成長していくのかを体系的に示しました。そこでは、より高い段階の精神とは、他者を排除する心ではなく、すべてを包み込む広い心であると説かれています。

もしこの思想を現代の世界に応用できるとすれば、それは単なる宗教の問題ではなく、人類社会の成熟の問題とも言えるでしょう。

中東の緊張が続く今だからこそ、力による解決だけではなく、人間の精神のあり方そのものを問い直す視点が必要なのかもしれません。空海の思想は、そのための重要なヒントを、私たちに静かに示しているのではないでしょうか。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA