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  • 空海の思想から考える、今日の日中関係

    空海の思想から考える、今日の日中関係

    もし空海が現代に生き、今日の日中関係を目にしたなら、ニュースで語られるような単純な「善か悪か」「味方か敵か」という見方はしなかったでしょう。

    空海なら、「煩悩に振り回されている状態」と「煩悩をうまく扱っている状態」という視点から、世界や国家の姿を見つめたのではないかと思います。


    即身成仏とは「欲をなくすこと」ではない

    空海が説いた「即身成仏」は、欲や迷いをすべて捨て去ることを理想とする教えではありません。

    人は生きていれば、
    欲もあれば、不安もあり、怒りを感じることもあります。
    それはごく自然なことです。

    大切なのは、そうした感情や欲望に振り回されてしまうかどうかです。


    問題なのは「煩悩」ではなく「煩悩に支配されること」

    この考え方は、国にも当てはまります。

    どの国にも、

    • 自国を守りたい、
    • 豊かになりたい、
    • 影響力を持ちたい

    という思いがあります。

    それ自体は、決して異常なことではありません。
    しかし問題は、その欲が理性によってコントロールされているかどうかです。


    中国共産党の行動をどう見るか

    現在の中国を動かしている中国共産党の行動を見ると、国民全体の幸福よりも、党の権力を守り、拡大することに強くとらわれているように見えます。

    その際、「偉大なる中華」という物語が、権力維持のための煩悩として利用されているようにも感じられます。

    その結果、
    周辺国との緊張が高まり、
    世界全体に不安を与える状況が生まれています。

    こうした状態は、煩悩を政治権力が利用しているように見えますが、やがてそれが制御できなくなる危険をはらんでいます。
    つまり、智慧を失った状態に近づいているとも言えるでしょう。


    空海は「中国そのもの」を否定しただろうか

    ここで大切なのは、空海が「中国」という国や、中国の人々そのものを否定したとは考えにくい点です。

    実際、空海は唐の時代の中国に渡り、その最先端の学問や仏教思想を学び、日本へと持ち帰りました。

    空海にとって中国は、対立すべき存在ではなく、学びと交流の対象でした。
    だからこそ、空海が問題にしたとすれば、それは文化や民族ではなく、智慧を失い、煩悩に支配された権力のあり方だったのではないでしょうか。


    日本にも問題はあるが、大きな違いがある

    もちろん、日本にも煩悩はあります。

    利益を優先しすぎること
    保身に走ること
    弱い立場への配慮が足りないこと

    こうした問題は、日本にも確かに存在します。

    それでも民主国家には、煩悩が暴走し続けないための仕組みがあります。

    権力を批判できる自由
    選挙によって政権を交代させる制度
    多くの人の幸福を考えようとする価値観

    完璧ではありませんが、間違いを修正できる道が残されています。


    中国共産党の野望を止めるということ

    中国共産党の行動を止めるべきだ、という考えは、中国を敵として憎むこととは本質的に異なります。

    それは、
    煩悩に振り回された権力が、
    世界を不安定にするのを防ぐために、
    理性と節度を重んじる国々が協力する、
    という意味です。

    空海の考え方に近づけて言えば、中国共産党の煩悩に振り回されるのではなく、智慧によってそれを抑制し、コントロールしようとする姿勢だと言えるでしょう。


    即身成仏の視点で見る国際社会

    即身成仏とは、「いつか理想の世界が来る」という思想ではありません。
    今この瞬間に、どう生き、どう振る舞うかを問う考え方です。

    それを国家に当てはめれば、常に次の選択が問われます。

    力を持ったとき、支配するのか
    それとも、自制するのか

    欲望を広げ続けるのか
    調和へと向けるのか


    おわりに──空海からの問い

    煩悩を抱えたまま悟る。
    この空海の逆説は、現代の国際社会にもそのまま当てはまります。

    国も人も、欲を持って生きています。
    しかし、その欲に振り回されるか、理性によって扱うかで、未来は大きく変わります。

    もし空海が今を生きていたなら、私たちに静かにこう問いかけたのではないでしょうか。

    「あなたは、欲を持って生きているのか。
    それとも、欲に支配されて生きているのか」

    この問いは、中国だけでなく、日本にも、そして私たち一人ひとりにも向けられているように思われます。